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答えよりもっと大事な事は、勇気出して自分を試す事だ

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プロ野球のオフシーズンは夜が長く感じるのでやたらとDVDなどを観まくっている北沢力です!

 

最近、CS放送で「キャプテン」という昔の野球アニメを見ました!いやー!実に懐かしい!

 

キャプテンのオープニングの曲に…

 

“答えよりもっと大事な事は、勇気出して自分を試す事だ“

 

という歌詞があります。

 

僕もマイクの前である意味 “試す” 事があります。

 

どんな表現を求められているのかわからない時や、僕があまりやらないような表現に挑戦するような時…でしょうか。

 

試す、という言葉を使うと様子を見るようなニュアンスを感じるかもしれませんが、そのような消極的な事では無く、積極的に攻めるような感覚です。

 

やれるかやれないかは置いておきましてー「やってやるぜっ!」という強い気持ちでソレに挑戦するという事は物凄く大事だなと僕は思います。

 

ソレで失敗する事もあるかもしれません。でも、失敗してもいいじゃないですか!失敗したという経験が出来たのですから!

 

ひとつ高いレベルの表現に挑戦する、新しい自分の可能性に挑戦する…実に素晴らしい事です!

 

マイクの前だと失敗を恐れがちですが、そんな事を恐れていては前に進めません。

 

どんどん自分を試して行けばいいのだと思いますよキャプテンのOP曲の歌詞のように!

 

試す気持ち、挑戦する気持ちを無くしては成長は無いように思います。

 

誰に向かって発してる言葉かわかりませんが、ほとんど自分に言い聞かせています(笑)!はい!勇気出して自分を試します!ありがとうございます!

 

声優の喋りにそんなスポーツ的な言葉が当てはまるのかしら?なんて思う人もいるでしょうが、僕にしてみたらマイク前なんていうのは9回の裏、2アウト満塁、カウントは2ストライク3ボール、長打が出たら逆転サヨナラ負けという場面でマウンドに立っているピッチャーの様な心境なのです。

 

フォアボールが怖くてストライクを取りに行くような置きに行くボールを投げた日にはアッサリ打たれて逆転負けです。しかし、外角低めのストライクゾーンギリギリのコースに投げ込みたい所ですが、フォアボールが怖いのでそこに投げこむには勇気が必要です。

 

そんな局面でも強気にコースを攻めるような一球を投げてやるぜ!というような強い気持ちを持って喋るというような仕事だと思っています。

 

打たれようが抑える事が出来ようが “勇気を出して自分を試す事が重要” なのです。弱気になって中途半端な置きに行くような球をど真ん中に投げ込んでしまっては打たれてしまう可能性は高くなりますからね。

 

強気にコースに投げ込んで四球になっちゃったり打たれたなら仕方がないですよ。真っ向勝負で負けたならあまり後には引きずらない筈です!

 

でも中途半端に置きに行くような球を投げて打たれたりしたら絶対に後悔しますよね。

 

“答えよりもっと大事な事は、勇気出して自分を試す事だ”

 

まさにこの歌詞のような事ですよ。勇気を出すって事です。その結果、要するに答えなんて事より、勇気を出して自分を信じて実行する事の方が大事なんだって事ですよね。

 

結果を恐れず強気に攻めて行きましょう!はい!わかりました!頑張ります!


心が動くという事

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どうも!そろそろいい年こいたおっさんなので怒られる事が無くなりたいような気がする北沢力です!

 

怒られる事が好きな人なんていませんよね(笑)?

 

当然、僕も怒られるのは嫌です。怒ってる方もいい気分ではないでしょう。

 

恥ずかしい話ですが、何だかんだで今年を振り返ってみると、何回か怒られました。

 

来年こそは怒られないようにしたいよー…ってな話ではなくー

 

あ!いや!怒られずに済むのであれば怒られたくは無いですけどー

 

怒ってくれる人の存在はありがたいなと思ってしまう自分もいるわけですよ。

 

当然ながら怒られるってのは気持ちのいいものではありませんけども、心が動くって事が重要な気がするんですよね。

 

ある程度歳をとってくると心が動く事って少なくなるじゃないですか。

 

心を動かされるって事が人を成長させるんじゃないかしらー的に僕は思っていましてー

 

何でもいいから激しく心臓がドキドキするような心境っていうのは自分を高めるチャンスだとだと思うんですよね。

 

声優の仕事は色々な心情を吐露するような仕事でもありますので、色々な心情とやらの引き出しが沢山あった方が絶対に良いに決まっています。

 

勿論、怒られたりした場合は心に傷を負うわけですが、それを一旦しっかり受け止めて、そして治療するような作業をして、完治したら傷を負う前の自分より成長したような感覚になるんですよね。声優的に引き出しが増えたという直接的な成長ではなく、人間的にも成長している筈です。

 

他人と深くかかわるのはとても面倒な事だと今の僕は思っています。ダメな奴だと思われても構いません。本当にそう思っているダメ人間ですから。

 

でも面倒だからと言ってソコから逃げていると人として成長しませんし、声優的にも成長は無いようにも思います。

 

まだまだ成長したいです。人としても声優としても。

 

他力本願だと言われても仕方が無いような事を言いますが、沢山の人に心を動かされたいです。心が動かなくなってしまっては僕は終わりです。

 

べ、別に怒られる事だけが心が動くって事じゃないですから無駄に怒ったりしないでくださいね!何だかんだで怒られるのは嫌いですから(笑)!

 

嫌な思いをするという事も、自分の成長の為だと思えば…と思う自分もいますがー

 

できれば良い事で心を動かされて成長したいですよね!

 

来年は怒られないようにするぞー!
ヽ(-@∀@)ノ イママデノハナシハナンダッタノ?

バンドと声優の仕事の北沢力的共通点?

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皆さん!安心して下さい!今年最後のコラムですよ!意味がわかりませんね!どうも!北沢力です!

 

バンドブームの真っ最中が僕の青春時代だった事もあり、ミーハーな僕ちゃんはまんまとブームに乗っかり、ギターなんかを買ってみちゃったりして、学生時代はバンドの事で頭がいっぱいでした。

 

友達とバンドを組んで「まずは文化祭に出て女の子にキャーキャー言われようぜ!」っていうある意味高いモチベーションでガムシャラにギターを弾きまくりました。

 

僕らのバンドは皆、バンド初心者だった事もあり、コピーバンドを始める事になるわけですが、今考えれば女の子にキャーキャー言われたいなんてモチベーションじゃなく、本当に音楽を心から愛せていれば人生は変わったんじゃないかなって思いますがそんな事は後の祭りであって、僕らのバンドはとにかく人気があるバンドをコピーするようなスタイルを貫きました。

 

僕はバンドを始める前からバンド的な音楽が好きだったのですが、ボーカルや歌詞に強い興味を抱いたわけではなく、何故かコーラスの声に強い興味が湧いていたように思います。

 

わかりやすい所で言うと、BOOWYの布袋さんであったり、THE BLUE HEARTSの真島さんだったりといった個性的な声がとにかく好きでした。

 

今考えると、ボーカルのようにスポットが当たり過ぎるポジションにはあまり興味が無かったのかもしれません。

 

曲全体の中の一つの強烈なスパイス的な存在に憧れていたのでしょう。主役ではありませんが、主役であるボーカルを引き立てるような役割っぽいギターというパートは僕の性に合っていたのでしょう。

 

そんなこんなな話はある意味どーでもよく、声優の仕事をしていると、作品に関わるという事は何となくバンドっぽいなと思う事も多く、自分が与えられたパートで何をするべきなのかという事を凄く考えさせられます。

 

ボーカル的な役割であったり、ギター的な役割であったり、ベース的な役割であったり、ドラム的な役割であったり…

 

色々とあるような感じではありますが、どうも僕はボーカル的な役割が苦手なのかなんなのかわかりませんが、全体的なバランスを取りたがるような傾向があるように思います。その割には、自分の存在感も出したいなんていう下心もあり、まさに個性的な声でコーラスをするギタリストのような考え方(?)です。

 

ナレーションの仕事とかは特にバンドっぽく感じます。ボーカルとベースとドラムなどがが既に収録されていて、あとは僕のギターのパートを収録するだけ…みたいなイメージです。ある程度完成されている音楽の中に僕のギターを入れるわけです。ある程度完成された雰囲気を壊す事無く、足りないスパイスを僕が補うようなイメージですかね。

 

アニメや吹き替えなどの場合はオーケストラのようなイメージです。オーケストラはバンドよりも沢山の楽器(声優)があるわけですから、全体のバランスをどう取るかというよりは指揮者(ディレクター)の演出にどう応えるかというようなイメージです。

 

こんな考え方が正しいのかどーかはわかりませんが、何となく僕はそんな感じでやってますって事です。もしかしたら、もっと自分を前面に押し出していいんじゃないか、なんて意見もあったりするかもしれません。でも、僕の根本的な性分みたいな部分で “バランスを取る” みたいな事が好きなのだと思います。

 

バランスを取りたくても取れないような仕事もあるので何とも言えないんですけども、基本的に独りよがりにはなりたくないなぁなんて思ってます。それは仕事に限らず、普段の生活からも、です。

 

バンドも楽しかったですが、声優の仕事にも似たような楽しさを感じているのは、一つの表現を皆で作り上げるような作業が好きだからかもしれません。

 

こじつけっぽい記事でしたが、勝手に自分で納得しています。

 

今年最後のコラムになります。

 

来年もこのクソ駄文にお付き合い頂ければ嬉しいです。

 

良いお年を…!

タイミングとタイミングとタイミングとタイミングとタイミングが重なる

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明けましておめでとうございます!年末に酔っぱらって階段から転げ落ち、尾てい骨を骨折してしまった北沢力です!呑み過ぎには気を付けましょう!

 

良いタイミング、悪いタイミング…

 

様々なタイミングで色々な事が起こりますよねー。

 

その何かが起こるタイミングが、一つのタイミングのタイミングだけではなく、アレとコレとソレとナニが重なって訪れるかなりレアなタイミングもありますよね。

 

できれば良い方面でのタイミングが重なると良いのですが、悪い方面でのタイミングが重なる場合もあると思います。どちらにしても、長く人生を生きていれば、何回か “レアなタイミング” に出くわすモノではないでしょうか。

 

このレアなタイミングって奴は、良くも悪くも不可能を可能にする位の破壊力を持っています。

 

声優の世界で生きていると、このレアなタイミングを、どう掴むか、どう利用するか、という事がとても大事な事のように思います。ゾウリムシのフンのような存在の声優である僕はこんな夢のようなタイミングを今か今かと待ち続けています。ソレを掴まない事には一発逆転は今の所不可能ですからね(笑)。

 

んな事言ってもー

 

その色々なタイミングを掴む努力をし続けていない人にはタイミングは重なりません。極まれに運だけでソレを掴める人もいるでしょうが、レアなタイミングを掴む為の基本はできる努力を全てするって事だと思うのでヤンス…

 

え?
偉そうに言ってるケド、お前はそのレアなタイミングとやらに出くわした事があるのか?ですって??
ヽ(-@∀@)ノ イヤナコトキクワネエー

 

あああああ…あり、あり、あり、あり…

 

ありますよ!
ヽ(-@∀@)ノ エ?マジデ?

 

いや、あるっちゃあるんですけど…僕が今求めているのは、今まで僕に起きた、僕なりのレアなタイミングでは無くて、もっともっと今までに無いような超ビッグウェーブを待っているんですよ!

 

僕の話はどーでもよくー

 

驚くようなタイミングでアレやコレやが重なる時っていうのは人生が大きく変わる分岐点だと思うんですよね。運命のイタズラなんて言葉もありますが、不可能が可能になったり、その逆もあったりと…

 

人生は何が起こるかわかりません。特に声優の世界で生きているとそんなような事を痛感します。

 

役者の人生なんて何が起こるかわかりませんし、この世界に足を踏み入れた時から安定なんて求めていません!いや!金銭的な安定は求めています(笑)!いや!それすら求めてはいけないのかもしれません!

 

さあ!来い!レアなタイミング!!良いタイミングだろうが悪いタイミングだろうが乗りこなしてやるぜ!

 

…で、できれば悪いタイミングは…来ないで欲しいでででです!
ヽ(-@∀@)ノ コワイヨー

動かす

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健康診断の結果が思ったより良くて少し安心している北沢力です!

 

日々、様々な作品に関わらせて貰っていますがー

 

レギュラー的に長い期間の作品であったり、単発的に一瞬の作品であったり色々です。

 

一つの作品に対して、どれだけ深くその作品に関われるか…とにかく深く深く関われば関わる程に、自己満足的ではありますが「良い仕事ができたな」と思うわけであります。

 

感覚的な表現になってしまうかもしれませんが、その作品に声を吹き込むという事は、その作品を “動かす” ような感覚が僕にはあります。逆に言えば、動かなければ良い仕事では無いとも思ったりしますのです。

 

“動かす”

 

適当に声を吹き込めば動くのかと言えば、そうではなく、適当に吹き込んだ声ではそのシーンは絶対に動いてくれません。ちゃんと深く考えた挙句の表現を作品に還元してあげないとウンともスンとも言ってくれないんですよね。ちゃんと動いてくれた時はかなり嬉しいですが、ツンデレ的な女性に振り回されているような心境です(笑)。

 

その作品に興味が持てなければその作品に深く関わる事は難しいのですが、興味があるような仕事ばかりではありませんので、興味の無いような内容の仕事でも興味を持つ努力をします。深く関わる努力をするという事です。

 

当日原稿の仕事も多いので、瞬時にその内容と深く関われるかと言えばなかなか難しいのですが、瞬時に深く関われるような考え方や解釈の仕方などを僕なりに研究しています。

 

僕ら声優は作品内で想いを伝える方法が声しか無いわけですから伝える方法をあーでもない、こーでもない、と四苦八苦しているのですよ。

 

僕らの声の届け先は人間の耳なのです。ざっくり言うと、人間に良いと思って貰えなければ商売にならないって事です。

 

“作品に対して深く関わる” なんて事を言いましたが、人間に対しても同じ事で、深く関わらなくては自分の気持ちを伝える事や、相手の気持ちを知る事はできません。

 

作品に深く関わるという事と、人間と深く関わる事は同じ事だと思うんですよね。

 

“動かす” というという事の中には色んな事が詰め込まれているのですが “伝える” って意識の比重が大きいように思います、僕の場合は。

 

結局、人間を学ばない事には伝える事というのは難しいです。いつまで経っても正解が見えませんが、正解が見えないからこそ貪欲に人と接点を持たないといけないのかもしれませんね。

 

私生活から伝えるって事をちゃんと考え、勉強しておかないと、僕は “動かす” をちゃんとできません。

 

いちいち人の言葉に過敏に深入りし過ぎると精神がぶっ壊れそうにもなりますが、僕みたいな虫けら野郎は少しくらい精神がぶっ壊れる程の無理をしないとこの世界で生き残って行けないと思うので、この部分はストイックに追及して行きたいと思いまちゅ。

プロフェッショナル=凄い

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どうも!やっと本気ダイエットモードに突入した感じがしている北沢力です!とりあえず10㎏位痩せてみようかと思います!

 

“凄い” と思われたいなんて願望は誰にでも大なり小なりあるのではないでしょうか。

 

プロと呼ばれるような仕事をしていると、凄いと言われて当たり前のような気がしないでもないですが僕は残念ながら凄くありません。

 

逆に言うと凄いからプロなのかもしれませんよね。いや、やっぱりプロは凄くあるべきです。何でもいいから凄い事をしていないとプロの仕事は成り立たないのでしょう。

 

僕みたいなボウフラのフンみたいな声優は凄い所がまるで無いので凄い人達についていく為に凄い努力をしなければ…

 

ん?

 

あら?僕も凄い事をしているのかもしれません(笑)。凄い人達について行けてるかどうかは別として、ついて行く為に僕は人一倍ついて行く為の努力をしないといけないですし、隙あらば追い越したいなんて野望もありますので追い越す努力をしなければいけませんのです。

 

つまりは何かしらで凄い事をやっていなければプロじゃないんですよ。多分、何でもいいんだと思います、凄ければ。僕みたいなダニの死骸みたいな声優でも凄い努力をすれば何となく声優としていられるわけですから。

 

え?
お前はそんなに凄い努力をしているのか?具体的に教えてくれ?ですって!?
ヽ(-@∀@)ノ コマッチャウナーハハハ

 

え、えっとー
ソレはそのー

 

ピィヤー!!

 

その話は1000週間後にコラムとして載せようと思います!

 

ではさようならー!
ヽ(-@∀@)ノ ドロンシマス!

あーでもない、こーでもない、

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最近、ダイエットが順調で体重計に乗るのが楽しみで仕方が無い北沢力です。が、まだデブの域を抜け切れませんので引き続き頑張ります!

 

いつもいつも、良い仕事をする為にはどうしたらいいのか、良い営業をする為にはどうしたらいいのか、良い声優になる為にはどうしたらいいのか、なんて事を考えて生きている僕ちゃんですがー

 

どうしてこんなに飽きもせずあーでもない、こーでもない、なんて事をいつもいつもいつもいつも考えていられるのだろうか…なんて事を考えました。

 

声の表現に関しては、奥が深すぎて24時間ずっとソレを考えて続けていたとしても自分が満足できるような境地に辿り着けないと思うので当たり前の当たり前のように考えないといけないって結論は出ています。

 

良い営業であったり、良い声優になる為には、という事も結局はやはり奥が深いので声の表現と同じように24時間考え続けたとしてもなかなか良い答えに辿り着かないような感じです。

 

結局何の話だって話ですが(笑)…

 

こーすればこーなる
あーすればあーなる

 

明確な方法が存在しないんですよね、声優の世界って。

 

先輩の営業方法をマネした所で、それはその先輩だから通用する営業方法であって、自分がやってみた所で逆効果…なんて事もあるわけですから、結局、自分なりの方法を見つけていかないといけないんですよね。

 

正解は自分で探すしかないのですからそりゃ~いつもいつもいつもいつもあーでもない、こーでもないと考えずにはいられないって事なんですよ。

 

勿論、考えただけじゃ何も意味は無いので、良い案が思いついたら実行しなきゃいけません。実行して成功だったら成功でいいわけですし、失敗したら失敗したで、それはそれで違う方法を考えるきっかけになるわけで良しとなりますよね。

 

僕の表現や営業は、僕にしかできない事であって、逆に他の人の表現や営業は僕にはできません。

 

人から見たらおかしな事もあるでしょうが、それが僕の表現や営業方法なので、あまり気にしないで頂ければと思います。
億万長者になれるような営業方法を早く見つけ出したいと思います(笑)!

 

最近の若い子の実力

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まだ2月ですが、もう既に花粉の気配をビンビンに感じている北沢力です!

 

最近の若い子(後輩など)は何て言いますかー

 

ある意味、上手いなって思います。あ、声の表現のお話です。

 

インターネットなどで様々な情報や表現を知る事ができるってのもあるんでしょうけど、とにかく僕の養成所時代の実力と比べたら今の養成所生の方が遥かにレベルが高いように思います。

 

実際、僕が養成所生の時の実力ってのはどれ程だったのか。

 

恐ろしい事に養成所の時にレッスンで録音したラジオドラマがウチにありましてね(汗)、聴いてみたんですよー

 

気が狂いそうになる程にヘッタクソでした(笑)!!

 

いやー
笑った笑った!もはやギャグでした!
ヽ(-@∀@)ノ イエイ!

 

養成所生なんだからヘタクソで当たり前ですよね。僕だけじゃなく、全体的にもやっぱりヘタクソでした。

 

その時のクラスは既にプロとして仕事をしてる子がいたり、後々プロになる子も沢山いたりなんかするようなクラスだったのですが、やっぱりあの時点ではアラが目立つと言いますか何と言いますか…やっぱりまだまだヘタクソなんですよね。

 

ただ、結果的にプロになるような子達や、既に現場に出てるような子は未熟ながらギラリと光るモノを持っていました。あ!ええ、僕にはソレがありませんでしたが!

 

今、聴いてもやっぱりプロなるような子はそれなりに「お!」って思います、思いました。

 

その「お!」って思わせるような部分ってのは人それぞれなので何とも言えませんが、元々備わってる子もいれば、努力で身に付けた子もいるでしょう。

 

何かしらの「お!」があるからプロになれたのでしょう。

 

今はネットでちょっと検索すれば様々な事が見つかります。変な話ですが「お!」すらも見つけられます。そりゃ、若い子達のレベルも高くなりますよねぇ。

 

ただ「お!」が見つけやすい反面、「お!」を見つけた人、つまり、同じような人が沢山増えているような印象があるようにも思ったりしますです。

 

僕が何となくのらりくらりと声優の世界にぶら下がっていられるのは、もしかしたら「お!」を持って無いからかもしれません、いや!つまり…逆にねっ!って事です。

 

え?僕、「お!」を持って無いですか??
ヽ(-@∀@)ノ  シランガナ!

 

知ったこっちゃないですよね(笑)!知ってます知ってます、はいはいはい!無い無い無い、ありませんよ!

 

「お!」も必要ですが、「おおお!」が必要なんでしょうね。僕には両方ありませんが。

 

お後がよろしいようで。


自分の声が好きになれない

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どうも僕は自分の声が好きになれません。

 

まぁ、アレやコレやみたいな沢山の声色を使うようになったのはもしかしたらそのせいなのかもしれないなー、なんて思ったり思わなかったりするわけです。

 

そんなこんな事をしているウチに、声なんてどーでもいい、表現の方法の方が重要なんだとか、いや!やっぱり声だ!いやいや!生き方だ!いやいやいや!逆に頑張らない方がいいんだ!なんて色んな事を思ってみたり、我ながら迷走し続けているような声優人生だと思います。

 

アレもコレも何でもやります、やれます!なんて事も言って来たような気もしますし、アレはやりたくない、コレはやりたくないなんて拘りも特に無く、目の前にある事を僕なりに一所懸命やってきたつもりです。

 

そんなこんなをこなして来たら小器用に色々出来るような使い勝手の良いような声優になったような気がしますが、ソレが果たして声優的に良いのか悪いのか…なんて話は置いおきましてー

 

何をやっても自分の声は好きになれません(笑)。

 

どーしたら自分の声を好きになれるんでしょうか?

 

いつになったら自分の声を好きになれるんでしょうか?

 

本当に謎です。

 

きっと一生、僕は自分の声を好きになる事は無いのかもしれません。

 

自分でも満足のいくような声を手に入れる為に一生悩み続けるのでしょう。

 

悩まなくなったら僕は向上しようと思わないでしょうからそれでいいのだとも思いますが、正直、楽な道ではありません。

 

今度こそ、今度こそと満足のいくような声を求めて仕事に挑みますが、なかなか満足のいくような声は出てくれません。

 

発声だとか滑舌って問題では無く(それもありますが)、北沢力という人間がマルッと声に出てしまうので、北沢力自体を鍛えて行く必要があるのでしょう。

 

筋トレしよっと!
ヽ(-@∀@)ノ ソーユーモンダイジャネーダロ

邦楽の歌詞

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僕は基本的に何となく洋楽ばっかり聴いているのですが、洋楽ってのは当たり前ですけど日本語な歌詞じゃないわけなので、頭の悪い僕には歌詞の意味がよく分からず&変に感情移入しなくて済むようなナニがソレもあり、精神的に楽なので何となく洋楽を聴いている感じが無きにしも非ずです、仕事前などは特に。

 

最近、ふとした興味からとある邦楽をポチっとしてしまい、何となく携帯のプレイリストに入れてみたのですがー

 

日本語の歌詞って凄いですね(笑)!

 

僕も言葉を喋る仕事をしているので常に言葉に対して何を詰め込むかみたいな事を考えているのですが、良いメロディーに良い歌詞が乗るってのは殺人的な破壊力だなーなんて思いました。勿論、歌に込められた想いみたいなモノも日本語だと伝わりやすいので頭の中に色んな想いが流れ込んで来ます。

 

声優の仕事も、僕が発する声に台本や原稿上の言葉を乗せるわけで、ある意味で邦楽のようなものなのではないかな、なんて思うわけです。

 

僕が発した言葉が誰かに届いて、その人の心を動かす事ができたなら素晴らしい事だな…なんて事を柄にもなく考えてしまったりしまわなかったり。

 

今更思う事では無いのですが、人に想いを伝える事の素晴らしさや難しさを酷く痛感しております。

 

僕の想いを伝えられているかいないかは僕の声を聴いた人にしかわからない事ですが、僕は一方的に想いを伝えようと日々、四苦八苦しているわけです。

 

いい加減に出来る仕事では無いです。本当に奥が深く難しい仕事です、喋る仕事は。

 

一生懸命喋ります。

 

僕なりに、ではありますが。邦楽に負けないように。

It’s My Style

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声優という商売をやっていると、何が正解で何が不正解か…という事がわからなくなる事がよくあります。

 

声優の生き方には正解なんて無いですし、正解なんてモノを求めてはいけないってのはわかっているのですが、自分を向上させるには人の意見というモノに耳を貸さなければならないような部分があるような無いような感じに思います。

 

僕以外の他人には僕に対する意見が沢山あると思います。他人というのは客観的に僕の事を見てくれるので、自分では気付けないような斬新な意見が得られるような場合もあったり無かったりするわけです。

 

でも、沢山の人の意見を全て間に受けてしまうと結局、何がしたいのかわからないような “自分というモノを持たない薄っぺらい役者” になってしまうような気が僕はしてしまうので、今の所の僕の結論は「自分がやりたいようにやる」という感じに落ち着いています。

 

元々、人から何かを教わる事が大嫌いなタイプだってのもありますが、やりたいようにやれないのであれば他の仕事をした方がマシみたいに思っている部分もあるのでやりたいようにやるようにしてます。

 

ソレが受け入れられないのであればソレはソレで仕方が無いです…なんて強気な事を言いたい所ですが、商売にならないようではソレはただの頑固者なので、余りにも受け入れられないのであればそんな自分を改造して新たな自分を作り上げたりする卑怯者です僕は(笑)。

 

卑怯者でも何でもいいんです。商売が成り立ちさえすれば。僕みたいなダンゴムシの足みたいな存在の声優はこの世界で何としても生き延びて行く事がアイデンティティなのですから。

 

「何とでも言え!メシが食えりゃソレでいいのよ!」ってなスタイルがイッツマイスタイル!です!
ヽ(-@∀@)ノ ナンテダササダ!

心技体の一致

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「やってやったぜ!」

 

…なんて思ってOAなどをチェックしてみるとー

 

「大してやれてねーぇ!!」

 

…なんて思う事があります。
ヽ(-@∀@)ノ ガッカリダヨ

 

色濃い表現を出したと思ってても薄く聴こえる場合があるのです。

 

気持ちみたいな部分が高まっていても、その気持ちが声の表現として成り立たっていないという事になってしまうと残念な結果になってしまうという事です。

 

よく「やりすぎ位が丁度いい」なんて事を言われたりするような世界なのですが、声だけで表現するという事を考えると、顔の表情や動きという表現が使えないので、声に表情をつけるためには多少大袈裟にやらないと物足りない表現になってしまうような感じだと思うんですよね。

 

最近、僕の中のマイブームで “心技体の一致” みたいな剣道っぽい言葉があるのですが、声の表現もソレらが一致しないと良い表現にならないんですよね。

 

現場に入っていきなり心技体が一致したような表現を出すというのはなかなか難しいものです。ソレらが一致するまで待ってくれるような仕事ではないので、ソレらのピークをマイク前でちゃんと出せるように自分のコンディションを整えるという作業が必要になります。

 

色んな部分を鍛えていかないと良い仕事は出来ないんだなー、なんて当たり前の事を思いながら今日も明日も明後日も、もがき苦しんで行くのだと思います。

砂漠の中で針を探す

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例えばー

 

“笑う” という表現一つにしても、笑い方なんてものは人それぞれですし、状況や感情によっても様々なわけで無限に近い程の選択肢が存在するように思います。

 

無限に存在する笑いの表現の中から、僕ら声優はソレであろう笑いを選択する事になるのですが、選択したソレが、演出側が思っているソレと違うのであれば当然、演出側からテコ入れが入るわけです。

 

無限に近い程の表現から選んだたった一つの表現が、演出側からも良しとされたならばソレはある意味運命の出会い的なナニがソレみたいな感じが無きにしも非ずですよね(笑)。

 

その演出側が求める無限の中の一つのソレに、僕らはピンポイントにそのソレを投げ込む必要があったり、逆に僕が選んだ無限の中の一つのソレを演出側に納得して貰うかのナニがソレなわけです。

 

その駆け引きの中で妥協が生まれる場合もありますが、出来れば演出側と僕が相思相愛である事がベストだと思います。

 

無限にある選択肢の中からたった一つを選ぶという作業は怖い事です。更にはソレが聴いてる側の欲求を満たす表現でなくてはならないという事が大前提だと思うので、今更ながら恐ろしい仕事をしているのだなと痛感します。

 

恐ろしい仕事だとは思いますがー

 

ソコがこの仕事の面白さでもあるのだと思います。

 

“砂漠の中から針を探す”

 

そんな言葉が何となく思い浮かびましたとさ。

 

良い所を伸ばすか悪い所を伸ばすか…それとも

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“良いところを伸ばす” なんて言葉がありますよね。僕ら声優の仕事でも、いえ…どんな仕事でも同じかもしれませんが、良いところを伸ばして悪い事はありませんよね。良いところってのは成長も早いですし、何か一つ突出した部分があるならば僕らの仕事では大きな武器となります。

 

ところがー

 

僕は元々、あまり良い部分を持ち合わせていないような人間でしたので…

 

え?「でしたのでって何だよ?お前には今でも良いところなんてないだろ?」ですってーっ!?
ヽ(-@∀@)ノ  ウエエン

 

…ハイソウデス。調子こきました。今も昔も良いところなんて何も無いゴミクズのような人間ですコレでいいいですかそうですか話を続けます!

 

苦手な部分や悪いところを何とか伸ばそうとアレやコレやと頑張っちゃって来たような気がしないでもない声優人生ですが、僕に何かしら良いところがあって、その良いところを徹底的に伸ばして行ったら人生は変わっていたかもしれません。今より良い人生になったか、悪い人生になったかって話は置いておきますが。

 

アレができない、コレができないってのは正直悔しかったですし、とにかくガムシャラに色んな事に取り組みました。

 

そして、今の中途半端に小器用な僕みたいな声優が出来上がったのですが、もし僕に良いところがあって良いところを伸ばして行ったならばどんな声優になっていたのか興味が湧きます。

 

その伸ばした良いところ的な部分の仕事が多くなるでしょうからある意味、“ある意味で” ですが楽なのかもしれません。

 

しかしながら、悪いところを伸ばした結果の今の僕は、ソレを後悔しているわけもなく「やっておいて良かった」なんて思う事も沢山あります。

 

僕はどんな苦しい事があっても結果的に「今が良ければソレでいいや」なんて思いがちな人間なので、ソレはソレでいいのですが、なんと…今は良いところを伸ばして行こうなんて事を思ったりしています!

 

え?「お前に良いところなんてないだろ!」ですって!?しつこいなぁ!あるんですよ見つけたんですよ思い込みかもしれないですけどねっ!!
ヽ(-@∀@)ノ  ウエエイ

 

良いところを伸ばすにしろ悪いところを伸ばすにしろ、ソレをしっかりやる事が出来れば結果はついてくると思います。どちらを選択するかは人それぞれだと思いますが、どちらにせよ要するにやるかやらないかって事だと思います。僕はやるしかないのでやるしかないのですが。

 

やりますよ。
この世界で生き延びるために。

今までに無い斬新な表現への道

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日々、色んな表現に耳を傾けて隙あらば自分の芸の肥やしにしてやろうなんて思ったりしている僕ですが、クソ真面目にソレをやり過ぎてもつまんない表現に…と言いますかー、誰かが既にやっている表現であったり、表現の世界の中での常識(そんなモノはありませんが)にとらわれてしまう、とらわれてしまっているのではないか、なんて思ったりする事があります。

 

ある程度の経験があると、アレはダメ、コレはダメ…なんて知識が自然と身について来るように思うのですが、その消去法で残った表現というのは、どこかで聴いた事のあるような表現だったりする場合が多いように思います。良しとされてきた実績のある表現みたいなモノしか残されませんからね。

 

勉強熱心であればある程に、非常識的な表現を避けがちになる時期があるように思いますが、その非常識は本当に非常識なのかどうか…勝手に自分の中という小さな世界で物事を判断していないか…などと疑心暗鬼的になるような時期もまたあるように思います。

 

コレらは、情報量で善し悪しを判断してしまうというような実に学業っぽい考え方な気がしますが、役者のような正解の無い世界にいる人ですら学業っぽく物事を考えたりしてしまう時があるように思います。

 

では、そのような考え方で今回のコラムのタイトルのような今までに無い斬新な表現は生まれるのでしょうか?

 

生まれる場合もあるかもしれませんが、なかなか難しいのではないでしょうか。

 

斬新な表現を生む必要があるのかどうかという問題もあります。斬新さを求めなくても、ちゃんと堅実な表現を心掛けて行けばソレはソレで良いようにも思いますが、なんか僕は僕にしか出来ないような斬新な表現を見つけ出したいという願望が強いです。

 

そもそも見つけ出したい、なんて思っているようでは斬新な表現なんてものは出て来ないのかもしれませんが、何とかひねり出したいものです。

 

クソ真面目に空気を読んだり、クソ真面目に勉強家だったりすると、斬新さがかき消されるように思ってしまっている今の所の僕ですが、何か自分の殻を破って新たな世界を覗いてみたいものです。あ、いや…僕は空気もロクに読めないですし、勉強家でもありませんので、まずはソコから始めないといけないのかもしれません…って!おい!1からのスタートやないかいっ!

 

まずは斬新的な人生を生きてみる事から始めたいと思います。
ヽ(-@∀@)ノ  ナンダソリャ

 

人間性が表現に反映されると思いますから。


客観的な自己分析のススメ

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役者のような仕事をしていると、どうしても商品としての自分を客観的に分析する必要が出てきます。

 

自分をイケメンだと思ってイケメンみたいな芝居ばかりしていても、他人が自分をイケメンだと思ってくれなかったらただの勘違い野郎的になっちゃう感じになると思うので、他人の目線で自分を客観的に見るというような作業が必要な気が今の僕はしています…

 

え?その自分をイケメンだと思ってる勘違い野郎ってお前の事じゃないか?ですって!?
ヽ(-@∀@)ノ  エ?

 

ひいー!!
僕ちゃんイケメンじゃなかったんですか?わはー!今までずっと勘違いしてました!イケメンだと思ってました!今日から自分を客観的に見るように心掛けます!ありがとうございます!

 

 

そんなこんなは置いておいてっと…。

 

自分を客観的に見て、その客観的にも自分的にも合致したような役者的なイメージをアピールしていって、そのアピールの対価として自分に合うような仕事を得るような戦略的な事が必要なんですよ的な話なのですがー

 

声優って声の仕事なんだから声さえ良ければソレでいいんじゃないの?ってな事を思われる人もいらっしゃるかもしれませんが、自分の持ってる声のイメージをどうアピールして仕事を得るかの一つの方法として、自分という全体のイメージを自分の声とリンクさせるような事が出来ると自分という声優を知らない人にも効率的に良いアピールが出来るんじゃないかしら?的な事ですね。

 

そんなこんなな意味を含め、自分を客観的に見るっていう作業は重要なんだろうなーって事なのです。

 

客観的に自分を分析するって事は、簡単そうで実は難しく(僕は)一体自分って何者なんだろうなんていう変な迷路に迷いこんだ事もある僕ちゃんですが、深く自分という人間を掘り下げて行けば行く程に、どうして今の自分という形が出来上がったのかなんて事も見えて来るような感じもあり、夏休みの自由研究などにもオススメです…なんて事も言ってみたくなりますが、なかなかショッキングな部分もあったりしますので、自己分析をちゃんとやろうと思うのであればそれなりの覚悟が必要かもしれません。

 

役者のような仕事を生業としている人間であれば自己分析的な作業は避けて通れませんがー

 

今の自分が今の形で存在している意味は、自分が今までの人生をどう生き抜いて来たかという事の現時点での集大成であるわけですから、客観的に深く分析してみると、色々な事がわかってくると思います。それがわかったから何だ?って話かもしれませんが、自分の本質を振り返る良い機会になるかもしれませんのでそんな時間を作ってみるのも宜しいのではないでしょうか。

ギブ&テイクの法則

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仕事に限らず、何にでも当てはまるような事ではあると思いますがー

 

人生ってのは基本的にギブ&テイク的に成り立っていますよね。

 

ソレが成り立たない関係っていうのは遅かれ早かれその関係が崩れて行きがちなものです。

 

ギブ&ギブだなんて無償の愛的な言葉がありますが、僕はそんなモノはこの世に存在しないと思っている堅物野郎です。

 

声優という仕事をしているからかどうなのかはわかりませんが、僕は一つのテイク(他人からのギブ)に過剰に反応してしまうような傾向があります。つまり、一つの仕事を頂く事に対して過剰にありがたみを感じ過ぎてしまい、何とかギブらなければいけないと考え過ぎてしまうという事です。

 

何をそんなに考え過ぎてしまうのかと言いますと、そのテイクよりもっと大きなギブを返さないと次のテイクが返って来ないのでは?という恐怖心のような事だと思います。

 

おかしな言い方かもしれませんが、テイクが怖いです。ギブなんてものはさせて頂けるものならいくらでもギブりたいですが、とにかくテイクに関しては必要以上に身構えてしまいます。

 

“仕事を頂いて、良い仕事をする”

 

コレが声優にとっての当たり前のギブ&テイクだとは思いますが、ソレは当たり前であって僕の中のソレとは違うんですよね。テイクされた時点でギブをしなきゃと感じてしまいますし更に良い仕事をするだけじゃなく、更にプラスα的なギブをしなければならないような気がしています。僕だけではなく、そう思っている声優は多いのではないでしょうか。

 

テイクに慣れすぎてしまうと、ギブする事が疎かになりがちですが、テイクされる事を当たり前だと思わずに、一つ一つのテイクに丁寧にギブして行きたいという気持ちは絶対に忘れてはいけない事だと思います。今あるテイクが一生あるわけでは無いかもしれないのですから。

 

ギブやテイクの形は様々ですが、僕がテイクと感じたテイクにはどんな形であれ僕なりの誠心誠意のギブをお返ししたいです。テイクされたままだと気持ちが悪いのです。それがウソのテイクであろうと僕がテイクだと感じたテイクには必要以上のギブで返したい…いや、必要以上に沢山のギブを返さないと僕みたいなアブラムシの産毛みたいな声優はギブ&テイクが成り立たないような気がするのです。

 

冒頭にギブ&ギブは無い的な事を口走りましたが、プロフェッショナルという立場としては絶対にテイクを求めなければいけないという意味合いを多く含む言葉です。でも僕は、限りなくギブ&ギブに近いギブ&テイクな形を理想としています。

 

気付かないうちに誰かからテイクされていたり、僕のギブが伝わらなかったりする事もあるかもしれません。出来る限りそんな事が無いように僕なりに気を配って生きています。

 

ちょっと下衆っぽい考え方かもしれませんが、ギブ&テイクが上手く行くって事は仕事や人生が上手く行くという事ではないのかなって思います。

 

…なんて事を思って声優の仕事に取り組んでいますよー的なお話でした。ギブやテイクの意味が混乱しそうなコラムで申し訳ありませんでした。

声の表現のヒントを探す

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表現者であるならば、自分の表現の質を高めようと努力するのは当たり前なような気が僕はするのですが、その質を高めようとする努力の内容は人それぞれだと思います的な話をしようと思いますです。主に僕なりのヘッポコな主観になりますがお付き合い頂ければナニがソレです。

 

僕は、その “質” を高めようという目的のみで本を読んだり芸術に触れたりする事はほとんど無いと言ってもイイくらいに不勉強な表現者です。一時期、ソレをやってみたような時期もありましたが、どうも性に合わないナニがソレでした。

 

言ってしまえば、僕の場合は興味の無い事に興味は沸かないんですよね。それと、努力っていう目的の為だけにって感じもあまり好きじゃありません。赤ちゃんに難しい漢字を書けって言っているような感覚(つまり無理)です。
ヽ(-@∀@)ノ ワカリニクイタトエダ

 

興味のある事だけをやっていたいっていう子供じみた発想で生きている僕にとっては興味の無い事に時間を裂くって事は苦痛なのです。でも、そんな甘ったるい事を言っていてはこの声優の世界で生きていく事は出来ないでしょうし困ったものです。

 

じゃあ、自分の声に必要な部分や足りない部分をどう補っているのかと言いますとー

 

企業秘密です!
ヽ(-@∀@)ノ ワハハ

 

…なんてのはウソで、僕は僕なりの方法でソレを吸収しているのですが、答えはもう出ているような事で、単純に興味が湧けばソレに対する努力をするって事です。必要があれば本を読むでしょうし、意味のわからない芸術にも触れてみたりするのでしょう。しつこいようですが興味が湧けば、です。

 

どこかの誰かが「コレをやればナニがソレ」なんて事を言っていても、その人はその人、僕は僕なのですから、余程心を動かされて興味が湧かない限り僕が行動する事はほぼありません。

 

こんな話をすると怠け者みたいに思われるかもしれませんが、僕は生きている事が既に努力みたいに思っている部分もあり、五感をフルに研ぎ澄ませて目の前で起きている事から声の表現に必要なナニがソレを吸収しています。よくわからない事を言いますが、生きているだけで、自分の声の表現に必要なナニがソレを沢山吸収出来ているような気がしている勘違い野郎です。

 

更にクズい事を言いますと、生きているだけで、誰かが僕に色々な表現のヒントを与えて下さっているので、自発的にソレを追い求めなくても事足りるような気もしています。

 

僕は興味の無い事はまるで頭に入って来ないので、生きて行く事に興味があって良かったなと思います。“生きて行くイコール表現” だと思っていますからね。

 

表現でメシが食えなきゃ死んでしまいます。僕にとって、死ぬという事は興味を失うという事なので死なないようにしないといけません。
ヽ(-@∀@)ノ アタリマエダロ

 

表現力を高める為の方法は色々あるとは思いますが、僕の場合はそんな感じです。きっとソレだけではないのでしょうが、ザックリ言うとそんな感じでやってます。

 

吸収しようと思えばそこらにヒントは転がっています。僕にはそう見えます。いや、身体が吸収体質になっちゃってるんだと思います。
ヽ(-@∀@)ノ モハヤバケモノダナ

良しとされる声の表現を捻出する為に

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僕は常に芝居が上手くなりたいみたいな事を考えていますー

 

は?本当ですよ?ウソなんて言ってないですってば!
ヽ(-@∀@)ノ シンジテチョーダイ

 

人様に良いと思って頂ける表現力を身につけるためにはどうしたらいいのか。

 

「声優なんだから良い声出せばいいだろ」

 

「発声練習とか滑舌の練習をすればいいんじゃないの?」

 

…的な事を、思われてしまいそうな気がしますが、声を鍛える事はプロとして当たり前であって、プロとしてのソレに見合う表現力というのは当たり前な事だけをやっていても絶対に身につきません。

 

声ってのは自分の身体から発っするモノですので、自分の身体から良い声が出るように鍛えておく必要はこれまた当たり前のようにあるわけですが、ソレは先程触れたような発声練習であったり滑舌練習であったりするものなどで鍛えなければいけません。つまりソレは当たり前の事であって、問題は当たり前の鍛錬以外の部分の表現力をどう高めるか、という事です。

 

簡単に言ってしまうと、自分の根本を鍛える…みたいな感じですかね。
ヽ(-@∀@)ノ イミワカンネー

 

結局、どんな表現を出すのかを決めるのは自分なわけですから、自分自身に良い表現を出せる判断力みたいなモノが備わっていないと、いくら発声が良くても滑舌が良くても世間様に良しとされないな表現を出してしまう可能性が出てきてしまいますよね。そー言った意味でも、良い表現を出せるセンスみたいな部分も鍛えなくてはいけないように僕は思っています。

 

じゃあ、センスってどーやって鍛えるのよ?なんて思う人もいらっしゃると思いますがー

 

ソレは、自分という人間とちゃんと向き合って、自分を向上させるって意識を持って日々を生き、その向上の為の行動が具体的に出来ている人にしか身につかない事なんじゃないかなって思います。

 

自分が素敵であればあれこれ考えないで素でやったとしても素敵な表現として成り立つと思いますから自分が素敵であればこんな楽な事(語弊はありますが)はありません。

 

人として素敵であれば素敵な表現が出せると僕は信じているわけであります。

 

その “素敵” だと思われるってのが難しいんですけどね僕の場合は。
ヽ(-@∀@)ノ クズダカラナ

 

表面的な事(技術的な事)も大事ですが、内面的な事を鍛えない事には声の表現で良いモノは出せないと僕は思いますです的なお話でした。

“嫌い” を “好き” に

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好き嫌いは誰にでもある事ですよね。

 

僕も沢山あります!嫌いな事の方が圧倒的に多いようなダメ人間です。
ヽ(-@∀@)ノ クズ

 

好きな芝居もあれば嫌いな芝居もあるわけですがー

 

僕ら声優は好かれる芝居については嫌でも考えなければいけないようなナニがソレだと思いますー、が!あまりにもソッチにより過ぎて媚びた芝居になってしまうと、これまたナニがソレな感じになってしまいます。演出の期待に応えないと商売にならないので時には媚びた芝居も出来なきゃいけないとは思いますが、理想を言えば自分が良いと思うような芝居を受け入れて貰える事だー、なんて思っている声優は多いと思われますー、いや、僕はそう思いますです。

 

あえて今回のコラムでは “媚” なんて言葉を使っていますが、僕は媚る事は嫌いですけど、好きです(笑)。
ヽ(-@∀@)ノ ドッチヤネン

 

媚びを売る事ができる人って凄いですよね。媚を媚だと思わせない人なんてのはもはや神かと思います。

 

でも媚を媚だと思われてしまう人の芝居ってのはどこかしらにソレが芝居にも出ちゃうように思います。思いますが、時には媚びる必要もあるように僕は思いますので媚でも何でも求められている芝居に近い芝居が出来るのであればその方がいいかなーなんて思っている僕はまだまだナニがソレなのでしょうか?
ヽ(-@∀@)ノ ナニイッテンノ?

 

出来るだけ好き勝手にやって生きて行きたいと思ってますがなかなか僕の我儘を通してくれるような甘い世界ではないようです。
ヽ(-@∀@)ノ アタリマエダロ

 

嫌だなと思っている事でも、無理矢理に前向きに楽しもうとすると意外とその嫌な事も楽しめたり好きになったりする事もあるので、嫌いだと思い込まずに取り敢えず前向きにチャレンジしてみるなんて事をやってみると新たな道が開けたりするのではないでしょうか。

 

僕は商売上であろうと何だろうと基本的に媚る事は嫌いですが、頭を柔らかくしてよく考えてみると、そこまで毛嫌いする必要も無いように思えましたので、媚なければいけない時は全力で媚を楽しむようにしています。嫌々にやっている媚でなければソレは媚では無くなるような感覚もありますし何より自分がソレを楽しめているのであればもはやソレは嫌いな行為では無くなっているのではないかと思うナニがソレですからね。

 

嫌いな事を楽しめる事が出来れば最高ですよね。

 

できれば嫌いな事よりも好きな事が多い人生になればナニがソレって事なので、嫌いな事を楽しめるようなナニがソレをアレがコレってお話でした。
ヽ(-@∀@)ノ ナニガソレバッカリ

 

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